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羽生-大山比較レポート4
6:外的要因2 ~勝てば勝つほど
現在将棋界には一般棋戦、タイトル棋戦合わせて年間10以上の公式棋戦が存在する。一般棋戦はトーナメント方式で争われ、決勝で勝った者がその年の優勝者である。タイトル戦の場合予選をトーナメント、勝ち上がった数名で決勝リーグ戦を戦い、リーグ戦優勝してようやく前年度のタイトル保持者に挑戦できる。(5~7番勝負)
【年間棋戦スケジュール】
つまりタイトル戦は勝ち上がれば上がるほど対局数が増えていく。全てのタイトル戦を全力で戦おうとすると心身がもたないというのはこのためだ。タイトル棋戦の場合、1試合の持ち時間は少なくても一人4時間、相手のを合わせれば合計8時間、食事休憩などを挟みながら朝から晩までかけて行われる。人によっては対局が終わると頭皮が充血して真っ赤になっていることもあるという。
これまでに1年間で最も多く対局した記録は2000年の羽生善治で89局。数字だけを見れば4日に1度しか働いていないと言う人もいるかもしれないが、タイトル戦で地方遠征となればその往復時間、現地での前夜祭、2日かけて行われる対局ももちろんある。さらに新しい戦術が発表されてもネットであっという間に全国に広がり、研究し尽くされる時代なので、練習、研究をサボればすぐについていけなくなることだろう。これも対局が増えることの弊害である。
さらにこの二人の場合、将棋だけをやっているわけにはいかない別の事情がある。将棋界の「顔」としての活動である。現代の棋界が羽生善治を中心に回っていることに異議を唱える人間はいないだろう。雑誌の取材、テレビ出演、講演会、スポンサー(主に新聞社)との合間を縫うようにして全国への普及活動を行い、更に数年おきに著書も出版し、空いた時間にチェスのチャンピオンと記念対局まで行っている。このレベルになると長期の休みなど年に一度あるかどうかだという。
大山の多忙ぶりはもう一つ上をいく。1977~88年に「日本将棋連盟会長」職に就任したのである。日本将棋連盟は法人であるが、経営は専門家が行っているわけではなく、あくまでプロ棋士の中から選ばれた者によって運営されている。「選手兼監督」どころの話ではない。「選手兼経営者」である。こちらも後援会やスポンサーへの挨拶回りは言うに及ばず、休日は年に1日だけ、公式戦の対局と会議を同時にこなした>という伝説も残るほど多忙を極める生活だったという。(対局場で一手指しては会議室へ向かい、途中で抜け出しては一手指しというのを繰り返した)
理事職などに選ばれて運営に関われば、棋士としての成績は落ちるのが当然なのだが、大山はこの間もタイトルを三期獲得し、最高位のA級リーグから落ちることなく戦い続け、名人戦の挑戦者にすらなっている。1990年、棋王戦のタイトルに挑戦した66歳という最高齢記録は当分破られることはないだろう。このあたりの逸話に関してはまだまだ羽生も及ぶところではない。
結論
もともと半世紀近く歳の離れた二人である。同じ土俵でどちらに価値があるか比べようというのがナンセンスではあるが、羽生の獲得数が81期を超えたからといって、大山の80期がそれ以下の価値しかないとは絶対に言えないだろう。将棋界に限らず誰か一人が達成すると、それまで不可能と思えた記録を次々と超えていく者があらわれるものである。羽生の記録も、それ以前の大山や中原などによりあらかた達成されたものでなかったとしたら、もう少し違ったものになっていたかもしれない。