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著名棋士【江戸~昭和初期】



伊藤看寿

伊藤看寿

※画像はイメージです。




 七世名人:三代目伊藤宗看の弟。17歳の若さで四段として御城将棋にデビューするなど天才として知られ、後年は名人である兄を凌ぐ強さを持っていたと言われる。名人襲名も間違いなしと言われていたが1760年、42歳の若さでこの世を去る。没後に名人位追贈。

彼が徳川将軍に献上した詰め将棋集「将棋図巧」は兄宗看の「将棋無双」と合わせて史上最高の傑作と言われ、現代でも優れた詰め将棋作家が毎年選ばれる「看寿賞」としてその名が残っている。
将棋図巧には全100題で構成されているが、中でも第98,99,100番の三題は「神局」と呼ばれている。

→神局







天野宗歩

天野宗歩

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 「実力13段」「棋聖」とも称された在野の強豪。名人家元の一つ、大橋家の門人となったが名人には推挙されず段位も七段止まりだった。しかしその実力は抜きんでており、スピード感溢れる指し回しはむしろ現代将棋に近いとされ、「近代将棋の父」とも評される。

1852年には御城将棋にも出場しており、勝てば家元以外から初の名人誕生かとも噂されたが惜敗。対戦相手だった大橋宗古にはそれまで負けたことがなかったこと、大一番に敗れたことで半官びいきか、世間では却って人気が高まった。また後年には伊藤宗印(後の11世名人)に平手で勝利を挙げている。

その一方で素行は非常に悪く、将棋賭博に関わったとして御縄になりかかり、家元が火消しに奔走したという伝説も残されている。44歳の若さで世を去ったが死因にも諸説あるなどドラマの多い人物だった。







阪田三吉

阪田三吉

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 大阪で生まれ、賭け将棋で腕を磨いたアマチュアの将棋指し。1899年、当時武者修行として全国を回っていた関根金次郎(後の十三世名人)と対局し惨敗。以後関根を目標とすることで力をつけていく。

2人が再び出会ったのは7年後。阪田は関根に肉薄するがプロの技の前に再び敗れる。この時関根が阪田に「五段半の免状」を与えると言ったことで阪田は激昂、喧嘩別れとなる。(さすがに一介のアマチュアに六段を与えることは出来なかった)

更に7年後の1913年(大正2)、後援者にも恵まれ関西棋界のトップとなった阪田は東京へ関根を訪ね、ついに勝利をおさめる。関根と阪田は通算で30局以上対戦し、阪田の15勝16敗であった。(平手では4勝2敗と阪田が勝ち越し)

この結果により関根の名人襲名に疑問の声が上がったため今度は関根の弟子、土居市太郎が阪田に挑戦する。当時50歳近かった関根、阪田と比べて30歳と若い土居が勝利をおさめ、関根が新名人を襲名することになった。

関根が名人となった際、関西の後援者の政治的な思惑もあり阪田は「関西名人」を名乗り、一時連盟から除名処分を受ける。(後に和解)
第一期実力制名人戦が開催された際には関西代表として関東の木村義雄(後の十四世名人)と南禅寺の決闘を戦い、さらに名人挑戦決定リーグ戦にも出場。70歳近かった阪田が見事に勝ち越したことが話題になった。

初手で端歩をついた一局が有名だが、現在の一手損角換わりなども既に試しているなど非常に新しい感覚を持った棋士だったことがうかがわれる。
戯曲『王将』のモデルでもあり現在でも非常に有名な棋士である。




土居市太郎

土居市太郎

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 日本将棋連盟初代会長。20歳で関根金次郎七段(後の十三世名人)に弟子入りし、23歳で四段昇段とデビューは遅めであったが僅か10年で八段まで昇段した。

八段に上がる直前の1917年、師である関根金次郎が大阪の坂田三吉に敗れたため関根の名人襲名に疑問の声が上がる。そこで当時既に実力最強であった土居が阪田に挑戦、見事打ち破って周囲の雑音を打ち消した。

 1937年に名人戦が実力制に移行した際は八段棋士全員が参加したリーグ戦に出場し3位。翌年には日本将棋連盟の初代会長に就任する。

 1940年(昭和15)第2期名人戦の挑戦者決定リーグが開始され、土居も
(本人いわく「棋界の発展のためならばと老骨に鞭打って」)これに参戦。
予選は2年に渡るリーグ戦で行われ、特例で出場した阪田三吉(69歳)を除けば平均年齢42歳という若手の実力者たちに混じり、当時52歳だった土居は13戦全勝という圧倒的な成績を残し見事挑戦者となる。
(52歳での名人挑戦は後に大山が更新するまで長らく最年長記録となった)

木村義雄に敗れ名人獲得とはならなかったが、後年木村が「天才だと思う棋士を一人挙げるとすれば?」と問われた際に土居の名を挙げるなどその印象は非常に強いものだった。

 1954年、名誉名人を贈られる。

名人戦開始があと10年早ければ・・・
関根が名人の実力制移行を宣言しなければ・・・

いずれも土居が名人となっていた可能性は高く、その点では悲劇の天才と言える棋士である。

余談だが土居と阪田三吉の年齢差は17、土居と木村義雄との年齢差も同じく17。さらに木村と大山康晴は18年離れている。






-Contents-

・贈名人:・伊藤看寿

・実力十三段:天野宗歩

・王将:阪田三吉

・名誉名人:土居市太郎

-将棋レポート-

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