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若い棋士の肖像



 至高の頭脳が集う将棋界を取材している時、常に頭の片隅に、 意識の底に眠る言葉がある。実に単純で、しかし重要な2文字。 「天才」である。天才と呼ばれる男たちは、なぜ天才と成り得 たのだろうか。 そんな思いが、ふとした時に顔を出してくる。文字通り、天が 与えた才能なのか、導かれた運命なのか、偶然と運による産物 なのか、それとも――。



羽生善治が史上初の七冠完全制覇を成し遂げた1996年、不世出 の天才を輩出した道場「八王子将棋クラブ」には連日、将来の 名人を夢見る子どもたちが殺到した。慣れない手つきで駒を持 ち、盤へと向かう幼い顔のなかに、中村太地という名の7歳の少 年がいた。


「僕、負けず嫌いだったんです。ルールくらいしかわからない 時に5歳上のいとこに負けて、悔し泣きして。強くなろうと」

テレビに映る羽生の対局姿に憧れ、知れば知るほどわからなく なる盤上の世界に魅了された中村は、サッカーを辞めて将棋に 没頭した。そして、いつからか棋士を志すようになる。七夕の 短冊に「名人になりたい」と書いた。小学生名人戦で準優勝し 、中学2年で養成機関「奨励会」に入会。

学校の休み時間は、いつも紙将棋の検討に充てられた。紙に引 いた升目に駒を書き入れ、一手ごとに書いては消すことをくり 返した。休日に、友だちと遊びに行った記憶はない。将棋につ いて考えることが同時に人生だった。


「やっぱり羽生先生が憧れでした。強くて、カッコ良くて、華 がありましたから」

神童たちによる弱肉強食の世界を突破し、高校2年で棋士に。早 実の同窓生が「ハンカチ王子」という名の英雄になる数カ月前 のことだった。


将来を嘱望されながら、プロ入り後は目立った活躍ができなか った。そして悩み抜いた末に「振り飛車党」から「居飛車党」 への転向を決める。打者で言えば左右の打席を変えるくらいの 大きな変化は次第に実を結び、プロ5年目の昨年度に覚醒。
通算40勝7敗で歴代2位の勝率・851を記録。第83期棋聖戦5番勝 負で初めてのタイトル戦に出場する権利まで得た。相手は他の 誰でもない。幼い日からの夢、羽生である。

少年は16年かけて 憧れの人と同じ舞台まで辿り着いたのだ。


決戦前の中村に千駄ヶ谷のドトールで話を聞いた。モデルのよ うな体型の現代的な風貌の男は、対局室を離れれば勝負師の危 うさを微塵も感じさせない。低すぎるほど腰が低い好青年だっ た。

途中、最も聞きたかったことを単刀直入に聞いた。
「あの頃、八王子将棋クラブに行った子どもたちのなかで、な んで中村君だけ棋士になって羽生さんに挑戦する所まで行けた と思う?」と。

天才とは何かという命題に、あるいは肉薄できるかもしれ ないという思いがあった。控えめな24歳は直截な言葉を避けな がら、とても印象的なことを言った。

「才能がないと棋士にはなれないってよく言いますけど、僕は 違うと思っているんです。辞めていった奨励会員のなかで、限 界まで努力して棋士になれなかった人は見たことがない。でも 、自分に今、常に100%の努力ができているのかと問うたら、 100%とは思えない。思えないから、近づけるようになりたいん です。

 4年前くらいに居飛車を始めて、最近ようやく板についてきた のかなと思えるようになりました。よく、何事も1万時間勉強す れば身につくと言いますよね。まあ・・・僕が本当に1万時間勉強 したかどうかはわかりませんけど・・・。オールラウンダーになり たかったんです。

 知らず知らずの間に羽生先生を見習っていたのかもしれませ ん。そして、羽生先生みたいに情熱を持って闘いたいんです。 今は将棋が楽しい。今までの楽しみが半分以下だったと思える くらいです」


ほかの子より努力したから、とは中村は言わなかった。しかし 、言葉の裏には歩んだ日々への確かな自負があった。ある棋士 の中村評を思い出した。

「太地君は本気で毎日10時間研究していますから」

棋聖戦は3連敗に終わった。第1局は最終盤まで優勢に進めなが ら、中村のわずかな緩手を発見した棋聖に「羽生マジック」で 逆転された。第2、第3局も熱戦ではあったが、越えられそうで 越えられない壁を羽生は築き続けた。あの日の王者は16年後も 絶対的王者だった。

島根県江津市で行われた第3局は、羽生の通算獲得タイトル81期 という不滅の新記録を生んだ勝負でもあった。原稿を書いてい る時、目の前を中村が通りかかったので声を掛けた。和服から 私服に着替えていた中村は、相変わらずの様子で

「あっ。お疲れさまです。わざわざ遠くまで足を運んでくださ ってありがとうございます」

と言った。なんと語り始めればいいかと考えながら

「タイトル戦での羽生先生はどうでした?」

と聞くと、挑戦者は答える。

「いや・・・。正直、覚悟していた以上に強かったです。こんなに 強いのかと・・・」

続く王座戦でも、中村は渡辺明王座への挑戦者を決める決定戦 に進出した。が、またしても立ちはだかったのは偉大な先輩で あり、憧れの人でもある羽生だった。羽生が盤上に描いていく 駒の連隊は、一寸の乱れもなく確実に中村を追い詰めていく。 狩人の棋譜だった。

勝率8割5分の男でも、対羽生戦は0勝5敗。おそらく棋士になっ てから最大の無力感と屈辱感が包んでいるのだろう。でも、中 村の棋士人生はまだまだ序盤だ。一局の将棋で言えば、戦型の 展望が見えてきたくらいだろうか。神様を攻め倒すまでの過程 には、無限の可能性がある。
あの対局直後、中村に告げた。

「でも、いずれは羽生先生を越えていかなきゃいけないんだろ うね。これから10年は羽生先生と中村君の時代になるかもしれ ないんだから」

時代、という大仰な言葉も決して過剰ではないと思えた。恐縮 したように笑い、頭を下げる若い棋士は

「そんな風になれるように頑張ります」

と言った。そして、わずか5メートルほどの場所で関係者と談笑 する羽生善治の、あの底抜けに無邪気な笑顔を見つめていた。



2012/7/24

転載元:実録!ブンヤ日誌





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