ホーム > トリビア > 将棋関連記事「転載」まとめ > 羽生善治
羽生の一分、鳴り響く歌
あの時、羽生は何を見ていたのだろう。何を思っていたのだろう。
一分将棋の死線の上で。
秒読みの焦燥、確信した勝利、敗北の恐怖、恍惚、不安。
何も分からない。分からない。誰にも分からない。
午後10時29分、134手目。劣勢の豊島は△8二銀を着手する。終盤のセオリーをかなぐり捨てる執念の受けだ。揺らめき、くぐもっていた控室の熱は突然、大きな声になって発露された。
一分後、羽生の右手の指先は8二の地点へと伸び、豊島の銀を奪い上げる。9三にいた竜を切る驚愕の手順で踏み込んでいったのだ。
「うわああああ」
一目見て危険すぎる一手の出現に、検討陣は再び歓声とも悲鳴ともつかない声を上げた。
継ぎ盤を囲む棋士、報道陣、関係者の多くは口元を緩ませている。もちろん嘲笑ではない。苦笑でもない。ゾクゾクする高揚を得た時に人が見せる笑みだった。
まだ羽生の駒台には飛、銀2枚、香、歩5枚が乗っている。豊島玉の脱出口は開かれておらず、素人目には竜引きでも十分勝てる局面にも見えたが、羽生は一直線に豊島を屠ろうとしていた。
あの言葉が浮かんだ。
運命は勇者に微笑む
羽生は勇者だった。運命を手繰り寄せるため、前へと向かう勇者だった。誰も指せない一手で勝利に迫っていく勇者だった。
座右の銘とする言葉について、インタビューで尋ねたことがある。
「若い頃は怖いもの知らずで踏み込んでいって勝てたこともありましたけど、今はリスクとか不安があると分かってしまいます。だから分岐点での選択で勇気を持って選ぶ姿勢は大切なのかなと思うんです。アクセルを目いっぱい踏み込んでいく感覚は実際に選択して身に付けていないと忘れてしまうものなんですよ」
羽生は渾身の力でアクセルを踏んでいた。走路が断崖の上だろうがなんだろうが、ブレーキなど選択肢にもないかのように疾走した。 もしかしたら、豊島が見せた覚悟に対し、覚悟の一手で応えようとする先駆者のプライドだったのかもしれない。見たことのない領域を見たいという好奇心だったのかもしれない。
モニターに映る駒台の上は乱れている。珍しい光景だった。10枚の駒は扇形に整えられず、奪ったばかりの銀は歩の列の上に重ねられている。記録係が秒読みを続ける中、羽生は息を呑み、なりふり構わず盤上に没入していた。
画面に映っているのは神様ではなかった。最終盤での1分という極限の世界に焦り、呼吸を乱し、頭を抱えながら正着を探す生身の人間だった。
コンピュータの評価値は一手ごとに振れた。人間の常識を覆すコンピュータの常識は、羽生の常識を前にして混乱しているように見えた。
2分残していた豊島は最後の猶予となる1分を費やし、一分将棋を迎える。それでも身動きひとつせず、ポーカーフェイスを貫き続けた。一瞬にして戦況を覆す一手を、王者を陥れる罠を探していた。
廊下を隔てた対局室で行われている勝負は今、思考のゲームを超越していた。勝利という絶対の真実を追い求める情熱の衝突だった。人間と人間による執念の交錯だった。
10月23日、横浜ロイヤルパークホテルで第62期王座戦5番勝負の最終局は行われた。羽生善治王座の2連勝の後、挑戦者の豊島将之七段が2連勝で踏み止まり、最後の決戦を迎えた。
横歩取りで始まった戦型は、先手・羽生の矢倉、後手・豊島の振り飛車の対向形のような形に移り変わっていった。棋界最高のオールラウンダー2人にふさわしい舞台設定となった。
午前9時に始まった一局も既に午後9時を迎え、5時間あった持ち時間は互いに残り30分程度まで消費されていたが、いまだ長い中盤戦の渦中にあった。王座の行方は、秒読みに追われる中での両者の選択に委ねられることは明白だった。
1990年4月30日。豊島が生まれた日、19歳だった羽生は棋界最高位「竜王」を名乗っていた。それから24年が経過した。
豊島は4歳の時にテレビで羽生を見て将棋を知り、弱冠9歳で奨励会に入り、16歳で平成生まれ初の棋士になり、タイトル挑戦者になり、七段になり、今春の電王戦では1000局もの準備を自らに課し、思考を分解してコンピュータを葬り去った。
羽生は25歳で七冠を制覇し、永世六冠になり、41歳で最多タイトル獲得記録を樹立し、今も四冠を保持し、時代の頂点に君臨している。
そして今、24歳の挑戦者と44歳の王座となって盤上を挟み、対峙している。将棋界では当たり前のことかもしれない。しかし、世の中には奇跡としか思えない当たり前の現実もある。
10時39分、145手目。▲9三歩成を着手する時、羽生の指先は激しく震えた。小さな頃から無数に繰り返してきたはずの「歩」を「と」に裏返す動作の途中で駒を落としそうになるほど激しい震えだった。
勝ったのは羽生だった。
羽生は強かった。
強い者が勝ち、勝った者が強かった。
報道陣が対局室になだれ込んでいく。
「端歩を突いたところからの寄せがお粗末でしたね。いろいろとひどい手を指している気がします」
3連覇を飾っての防衛は、タイトル90期の節目でもあった。
「ひとつひとつの積み重ねではあるんですけど、1回がとても大変なので、ひとつ取れたことを非常に嬉しく思っていますし、また次を目標に頑張っていきたいと思っています」
豊島は冷静沈着な顔を貫いたままだ。
「中盤で悪くしてしまってからはずっと悪かったです。結果は残念ですけど、とても勉強になる5番勝負でした」
感想戦が始まる。
羽生は竜を切った後の137手目を最善手の▲9三銀ではなく▲9一銀とした局面を悔いていた。そして、盤側の意見や問い掛けに応じていた途中、対局中に舞い戻ったように盤上を見つめ続けるシーンがあった。豊島も同じように思考に落ちていく。
▲9一銀でも後手に勝ちの順はなさそうだ、と結論付けられるまでの5分ほどの間、誰も言葉を挟むことが出来なかった。羽生が見つめていたのは防衛の喜びではなく、目の前の将棋だった。
勝負は終わり、始まっていた。
感想戦終了後の取材。挑戦者は対局場を去り、王者のみ残された。
私は羽生にひとつだけ尋ねた。若い世代との戦いは同世代に対するのとは別のモチベーションを抱くものなのか。
「若い人と対戦するのは自然な流れだと思っていますので、タイトル戦でも当然あることだと。豊島さんとは大舞台では初めてだったので、どうなるか分からないまま手探りで指していたのが実情です」
記憶力も瞬発力も落ちると言われる年齢に差し掛かりながら、羽生は手探りのまま最強の若手と一分将棋を戦い、勝ってみせたのである。
まったく予期しなかった人物が対局室の片隅にいることに気付いた。中村太地六段だった。昨年の王座戦で羽生に挑み、名勝負を繰り広げた若者は、都内での大盤解説会を終えた後、駆け付けたと言った。
1年前、同じ場所で行われた第3局で中村は快勝し、2勝1敗とリードしながら、やはり最終局で屈していた。
「時間がない中、スリリングなすさまじい攻防になり、両者の思いを感じました。連敗からの連勝で、棋士間でも豊島さんなら王座になれるんじゃないかと声は多かったですけど・・・やっぱり土壇場の羽生王座はすごいなと。最善手を逃しても負けないのはものすごい技術です。たぶん、本局の終盤も羽生先生の選択肢に負けの手はなかった。あと一歩まで来ながら、最後の最後に足りないものは何なのかが若手に突き付けられている気がします」
1年前の最終局のことが頭に浮かんだ。敗れる運命を理解しながら、中村が羽生とともに描いた投了図のことを思い出していた。
「・・・もちろん悔しい気持ちはあります。去年は対局室の盤の前に座っていたわけですから。また出たいと強く感じました」
彼の言葉を聞き終えた後、激しい思いに襲われた。
やれよ、と思った。
君がやってくれよ、と思った。
豊島が届かなかったのなら、もう一度、君が戦えよと。
強く思った。
真夜中の第三京浜、明滅する光の中を車は走っている。後部座席から外を眺めていると、ある音楽が頭の中で鳴り響いてきた。一度流れ始めると止まらなくなった。
何度も繰り返し見た第62期王座戦5番勝負のプロモーションビデオのBGMだった。音楽的嗜好が合致したのか何なのか、妙に中毒性のあるメロディーは、しばらく離れてくれそうもなかった。
インディーズシーンから瞬く間にグラミーアーティストへと駆け上がっていったバンド「ファン」のネイト・ルイスは、やけに通りのいいヴォーカルを響かせてくる。
僕らは輝ける星々なんだ
僕らに敵う者などいないんだ
carry on
carry on
続けろ 戦い続けろ
続けろ 戦い続けろ
終わりなく巡っていくコーラスは、声高らかな応援歌に聞こえた。
届かなかった豊島将之へ。
苦しんでいる中村太地へ。
戦いの渦中にある糸谷哲郎へ。
本当の輝きに辿り着いていないすべての若い棋士たちへ。
歌は力の限り叫んでいた。
続けろ 戦い続けろ
続けろ 戦い続けろ
午前1時を過ぎていたが、意識は覚醒していた。
明日への行進曲のような律動が離れない頭に、あの熱く燃え上がった終盤戦のことが再び浮かんだ。
激しく震えた羽生の指先、乱れた駒台、静かに敗北を受け入れる豊島の横顔、控室の声、そんな真新しい記憶が押し寄せるように迫ってきた。
なぜなんだろう、と不思議に思った。
ちょっと前まで俺は将棋になんて興味なかったじゃないか。頭脳の勝負なんて見向きもしなかったはずじゃないか。
でも今、私の心は将棋が生み出した何かによって満たされていた。
一局の将棋への震えるような思いに囚われていた。
最高の勝負がもたらした恍惚によって私の頭は少しおかしくなっていたのかもしれない。
ならば、狂ったままでいればいいと思った。
かつて羽生は言ったはずだ。
将棋には人をおかしくさせる何かがあると。
暗闇の中、歌はいつまでも鳴り響いている。
思いは音楽に重なり、止むことなく震え続けていた。
2014/10/29