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「19枚落ち」からプロへ……久保利明九段の将棋道



 振り飛車の絶妙なさばきから「さばきのアーティスト」と呼ばれる久保利明(くぼ・としあき)九段。師匠である淡路仁茂(あわじ・ひとしげ)九段との師弟関係の原点は、久保九段が4歳のときに19枚落ちで淡路九段に将棋を教わったことだった。

*  *  *

祖父と父親が縁台で将棋を指していたのを見て覚えた4歳の私が、師匠の経営する将棋センターに通い出したのも同じく4歳のときであった。当時住んでいた実家の加古川市は、今では「棋士のまち加古川」というように市をあげて将棋に十分に力を注いでもらっているが、そのころはまだ将棋がそこまで定着はしていなかった。当然近くに将棋センターなどはなく、加古川から神戸(電車に乗って30分ぐらい)に毎週末に通うようになった。なぜ師匠の将棋センターに通うようになったかというと、これは後で父親に聞いた話なのだが、父親の友人がセンターに通っていたということもあり、その友人に紹介してもらったという訳だ。

初めて将棋センターに行ったときにもらった級は8級であった。ただし実力的に8級ということはなく、それより下の級がないから8級という感じだったと思う。

そのときに師匠に初めて将棋を教わった。これはいろいろなところに書かれているエピソードなのだが、19枚落ちで指導対局を受けた(要するに王様1枚)。当時プロ棋士という職業を知らない4歳の久保少年の目には、配置の見た目もあって「えっ、さすがに勝てそう」という感覚を持っていた。ただし対局が始まると当然のように私の駒が徐々に取られていき、あっけなく詰まされて、あっという間に敗戦に終わった。後に師匠にそのころの話を伺うと、7六の歩を取ったら師匠の勝ちで、7六の歩を守り切れれば私の勝ちという勝負だったみたいだ(笑)。

自分の記憶には負けた将棋の印象だけがインプットされている。7六の歩を取られ、8七の歩を取られ、玉を一度7六に引き8六に歩を打って、と金を作るという作業を淡々とされ、どんどん駒を取られて負けたことと、「世の中にこんなに強い人がいるんだ」という感情を持ったことをよく覚えている。そんなレベルだったので、普通は「もう少し強くなってからまたおいで」と言われてもおかしくないような棋力だった訳だ。

ただそんな私に毎回のように指導対局をしていただいた師匠には本当に頭が下がる思いである。そのときに7六の歩の守り方を教わってなければ、今の私は存在しなかったであろう(笑)。

これも師匠から直接聞いた話なのだが、「君は本当に将棋の才能がなかった」とよく言われた。確かにそうだろう、19枚落ちで勝てない私に才能があったはずもない。ただそのあとに「でも飽きずに延々と同じことが出来る才能はあった」とも言われた。当時、大人の人と会話するのが恥ずかしかった私は、負けたときは黙々と初形に戻し、もう一勝負という意思表示をしていた。その人に一度でも勝つまでは何度も同じように初形に戻していた。今思えば相手をしてくれている方が根負けあるいは面倒になって、少しは緩めてもらっていたのかもしれない。

これは私が講演をするときに必ず皆さんに話しているのだが、「才能なんかなくても、その道のプロになることが決して不可能ではないことは私が証明しているので、夢を諦めずに頑張ってほしい」ということをお伝えするようにしている。

弟子から師匠への本当の恩返しとは

プロになった私は1局だけ師匠と公式戦で指したことがある。いわゆる師弟戦なのだが、一般的には弟子が師匠に勝つとその対局を見た師匠が「弟子も強くなったなぁ」と感慨深げになり、それを師匠への恩返しと言うもので、実際私も俗に言う恩返しは果たせた。しかし私はこれはもう昔のことなのかなと思う。やはり師匠だって勝負師、勝負に負けるというのはうれしいものではないと思う。実際私も弟子が2人いるが、プロになってこの2人と対戦が決まっても当然全力で勝ちに行くし、負けたら「強くなったな」という思いもあるだろうが、やはり悔しいという思いのほうが先にくるように思う。

では師匠への恩返しという意味としては何になるのかと言うと、私は2つの意味があると考える。と言うと聞こえはいいのだが、これは青野照市九段の『勝負の視点』という著書に書かれていた。その中で「弟子が師匠に勝つことで師匠に対して恩返しを果たしたというのは少し違うのではないか」ということが書かれていた。

では本来の恩返しとは何かと言うと、「ただ1つ恩返しという言葉が使えるとしたら、師匠が到達し得なかった地位に自分が到達し、その晴れの席で、自分がここまで来れたのは全て師匠のおかげですと言うことだけだと思う」ということが書かれてあった。

私はなるほど、確かにそうだと思った。将棋界の師弟関係は、私も将棋は数多く教えてもらったが、無償で育ててもらったし、当然私も弟子との関係は無償である(ただ、師匠に教わったほど弟子に将棋を教えてあげられてはいないが…)。

で、私には幸運にもそのチャンスが回ってきた。タイトルを獲得し、大阪での就位式の席でスピーチをするときに先に書いたような話と師匠へのお礼を壇上からすることが出来たのだ。おっちょこちょいでさんざんご迷惑ばかりかけてきたので、少しばかりは恩返しが出来たのかなと思う。この文章を書きながら、またそういうスピーチをするために精進しなければという思いがますます強くなった。

2つ目の意味はと言うと、これは師匠から直接聞いた言葉で、「師匠への恩返しは、その弟子が弟子を取ってプロを誕生させることが本当の恩返しなんだ」とよく言われた。これは私にとって、阪田三吉名人・王将から始まる一門の系譜を自分で止めてはならないということだと思う。先の名著『勝負の視点』にも、「先輩から無償で受け継いだものは後輩に無償で返せ」が芹沢博文九段の口癖であったと書かれてあった。

確かこの話をよく師匠から聞くようになったのは30歳を越えたあたりからだったろうか。「そろそろいい年なんだからそういったことも考えなさい」ということだったのかなと思う。そちらでの師匠への恩返しはまだ当分先になりそうだが、2つ目の恩返しも実現出来たらなと願っている。



2014/5/6

転載元:NHK将棋講座2014年5月号





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