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「天才」たちの最初の「壁」 奨励会:上
「1回目は落ちて元々という気持ちだったんですが、2回目に落ちた時はショックでしたね」
名人2期、棋王1期の実績を持つ丸山忠久九段は、棋士への第1関門、奨励会の入会試験に2回落ちた。
試験は受験者同士で対戦する1次、奨励会員と戦う2次があり、1次は6戦で4勝、2次は3戦で2勝以上しなければならなかった。83年、中学1年で受けた試験は2次で全敗。
翌年は中学生名人戦で優勝して1次免除だったが、2次が1勝2敗でまた不合格となった。
竜王を3期務めた藤井猛九段も試験でつまずいた一人だ。85年、中学3年の時、3勝3敗で1次落ち。
「受かる自信はあったんですが。高校受験と同じで年1回ですから、また来年かという感じでした」
三浦弘行八段も1次で落ちた。
「つらかった。唯一味わった挫折感です」という。
3人とも、将棋連盟が試験に落ちた者を救うために設けた「研修会」で成績を上げてはい上がり、仮入会という形で奨励会に入った。それがいまや順位戦A級に所属するトップ棋士だ。
将棋界の頂点に位置する名人位。そこに上り詰めるまでには、奨励会を抜け、プロ棋士になり、さらに順位戦を上がっていくという果てしない道のりがある。
将棋を覚え、町道場で強くなり、大人を負かす幼い「天才」たちが、はじめて直面する「壁」が奨励会入会だ。 羽生善治三冠や森内俊之名人は82年に初挑戦で入会。この年は受験生が約100人いて、合格者は24人だった。
一時、受験者が減ったといわれていたが、最近また増えつつあり、昨年は73人が受験し、合格者は24人。今でも毎年3人に2人の「天才」たちが、ふるい落とされている。
勝率7割以上 きついハードル 奨励会:中
奨励会に入れば、プロへの道が開ける。しかし、その道のりには、昇降級規定というハードルがあり、上に行くほどきつくなる。
6級で入会した会員が5級に昇級するには、「6連勝」「9勝3敗」「11勝4敗」
などの規定を満たさなければならない。例会は月2日、会員同士で1日3局指す。最短だと1カ月で昇級できるが、黒星が一つでも交じると遠のく。プロは生涯勝率が6割を超えれば大棋士とされるが、奨励会で昇格していくには7割以上の勝ち星を固めないと上がれないのだ。会員は厳しい昇級争いにもまれている。
「一度上がり目をつぶすと、作り直すのに3カ月はかかる。白星が先行したら絶対にものにしなきゃいけない。そのプレッシャーがきつかった」
と藤井猛九段は振り返る。
勝率5割では停滞、負け続ければ降格する。現在の規定では満21歳の誕生日までに初段に上がらないと退会となるが、退会年齢に達しなくてもやめていく会員は多い。
10年前の97年度入会者は、18人中1人がプロとなる四段に昇段した。4月1日現在で3人が有段者。残りの14人はすでに退会している。 奨励会幹事の中川大輔七段は
「理由は様々ですが、級位者の場合は自分で見切りをつけることが多い。特に進学が絡む時期になると、進路について考えるんでしょう」と語る。
有段者は奨励会員の中では勝ち組に入る。
「初段になると将棋の骨格ができている」というのは元幹事の豊川孝弘六段。
中でもプロ一歩手前の三段は別格だ。三段になると最終関門の「三段リーグ」に入り、さらに厳しい競争にさらされる。そこには、棋士でさえ足を踏み入れるのをためらう、張り詰めた世界がある。
「三段リーグ」越えて初めて 奨励会:下
タイトル経験者から低段者まで棋士のだれもが、人生で最もうれしかった出来事に
「プロになったとき」を挙げる。その気持ちは
「ほっとした」(中川大輔七段)、
「これで一生将棋が続けられると思った」(杉本昌隆七段)など様々。
共通しているのは、高いハードルを乗りこえた者だけが享受できる喜びにあふれていることだ。
奨励会員は、厳しい競争を勝ち抜いて三段まで上がると、「三段リーグ」に入る。在籍者は現在約30人。リーグは半年に1期行われ、それぞれが18戦し、成績順に上位2人がプロとなる四段に昇段する。同星ならシード順上位者が優先される。
三段リーグの対局は、二段以下とは別室で行われる。取材で写真撮影が許されるのは開始のときだけ。その後は棋士でも入室を遠慮する。幹事を務めたことがある豊川孝弘六段は
「空気が変わることがあり、対局者に影響を与えたくないから」と理由を語る。
4月に昇段したばかりの伊藤真吾四段(25)は04年度後期リーグで14勝しながら順位差に泣いた。
過去11勝7敗で昇段した者もいたが、相対評価だから仕方ない。リーグ中盤を過ぎるころになると、プレッシャーからか将棋を指している夢を何度も見た。決まって負けたとたんに目が覚めたという。
奨励会には
「満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段に達しない場合は次回のリーグに参加できない」
という年齢制限がある。勝ち越せば次のリーグに出場できるという延長規定はあるが、それも29歳まで。20歳を過ぎた会員にとっては、1期終わるごとに寿命が縮む思いがするのだろう。
リーグ最終日は、昇段を決めた会員を囲んだ打ち上げがある。棋士も駆けつけ祝福する。同じ苦労を乗り越えた仲間として認めるのだ。
アマに門戸、「敗者復活」も 編入制度
2年前、一人のアマチュアが注目された。26歳の年齢制限で96年に奨励会を去った瀬川晶司さん。アマ棋戦での実績を積み、約5年間のプロとの公式戦で7割超の勝率を誇っていた。
「もう一度プロの世界に」
日本将棋連盟に願い出て05年7~11月、特例で行われた61年ぶりの編入試験に合格。
現在は「フリークラス」の四段の棋士だ。
これを機に連盟はプロ編入試験を制度化した。公式戦で10勝以上かつ勝率6割5分以上の成績を挙げれば受験できる。
四段の棋士5人と対戦して3勝すれば合格し、フリークラス棋士となる。受験資格を持つアマは今のところいない。しかし、奨励会以外にプロへの門戸を開いた画期的な出来事だ。
奨励会三段リーグの次点(3位)2回で、フリークラスに編入されるルートもある。が、同クラスの棋士は名人位につながる順位戦に参加できず、自ら選んだ場合以外の在籍は10年まで。その間に「30局以上の勝率が6割5分以上」などの基準を満たして順位戦に「昇格」しないと引退が待っている。
直接プロになる制度ではないが、三段リーグへの編入制度もある。アマの主要6大会で優勝すれば受験資格が得られ、二段の奨励会員8人と対戦して6勝すれば合格で、リーグに4期在籍できる。プロ編入と同じく06年5月にできた制度で、この3月には今泉健司さん(33)が初めて合格した。
実は今泉さんは元奨励会員だ。三段リーグで次点を2回取ったが、1回はフリークラスへの編入制度ができる前だったため昇段できなかった。
「もう1回挑戦する権利が得られた。失敗した経験も生かして頑張りたい」
と、合格後に話した。アマに門戸を開いた編入制度は、元奨励会員の「敗者復活」の道でもあり、その道のり自体に勝負のあやを秘めている。
2007/4