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将棋をビジネスとして考える



 衰退か? 盛り返すか? 頭脳の格闘技「将棋」をビジネスとして考える

コンピューターに勝てなくなった時の、人間の強みとは

 さて、将棋産業のメインコンテンツであるプロ棋士どうしの対局は、現在のままでいいのか。あるいは、ビジネス上、もっと工夫の余地はないのか。 将棋というゲームは、観戦している第三者にとって勝敗がわかりやすく、見ていて実にスリリングなゲームだ。負けると本当に悔しいゲームなので、勝敗がつくまでの過程には「頭脳の格闘技」の趣がある。

一方で、一局の将棋の観戦には、持ち時間の短い棋戦でも数時間を要し、観戦者にとっては時間のコスト負担が大きい。これが、商品としての将棋対局の大きな難点だ。

名人戦や順位戦の上級クラス(A級とB級1組くらいまで)では、伝統の継承という意味でも、持ち時間の長い将棋があってもいいと思うが、「見せる」ことを考えると、全般に持ち時間を短縮してスピードアップを図るべきだ。

また、対局の映像(格闘技において、戦う人間の動画映像は必須だ)を編集して一局をスピードアップして見せるような仕掛けを考え出せば、現在棋譜が世に出ていない対局も含めて、多くの観戦者を集められるのではないか。棋士はプロフェッショナルである以上、対局あるいは棋譜を観る顧客がいて、初めて報酬(対局料)に見合う仕事をしていると言えるのだと思う。

なお、B級2組以下の順位戦は、対局数が少ない一方で(各組とも1人10局)、戦う相手の組み合わせによる有利・不利の違いがあまりにも大きい(B級2組の棋士は24人、C級1組は34人、C級2組は46人もいる)。実力に近い結果を得るためにも、持ち時間を短縮して、もっと対局数を増やすべきではないか。

また、早指しで一日あるいは二日で優勝者が決まるような、進行の早い「興業」があってもいい。アマチュアや女流棋士にも参加枠を与えて賑やかにやれば、集客力のあるイベントになりそうだ。

 持ち時間の短縮された早指し戦を増やしすぎると、将棋の内容が荒れる可能性はあるが、棋士の事前研究が進んでいる今日であれば、内容が酷く荒れることはないと想像する。

後の話題とも関係するが、生身の棋士がコンピューターに勝てなくなった時、価値の源泉となる「プロの凄さ」は、「一定の時間の制約の中でいかに頭脳と精神の力を発揮するかに」移行せざるを得ない。もちろん、ビジネスとしても、観戦者の立場で見た「時間」と、その時間を前提とした「見せ方」を考える必要があろう。

他方、名人戦のような戦いをじっくり味わいたいファンに対しては、入場料が安い大盤解説会だけでなく、プロ棋士による検討・解説付きで、食事付きといった密度の高い「もてなし」を伴った、プレミアム料金(数万円?)の観戦を用意してもいいだろう。そのためにも、もっと大きくて整備された「箱」が必要だ。

将棋連盟の事業ではないが、現在A級に在籍している橋本崇載八段は、東京・池袋で、将棋とバーを組み合わせた店を出しているとのことだ(一度お邪魔してみたい!)。現在の経営状況は存じ上げないが、これはビジネスモデルの方向性として、案外オーソドックスな試みと言える。

コンピューターとプロ棋士を「混ぜた」時の面白さ

 コンピューターと人間(プロ棋士)との戦いは、当面、関心を呼ぶ話題になるだろうが、前述のように、いずれは人間が勝ちにくくなる状況が予想される。コンピューターの将棋は、ハード、ソフト両面から今後も強くなるだろう。

特に、持ち時間が短くなる戦いでは、遠からぬ将来、普通のノートパソコンにインストールされた商用将棋ソフトに、プロ棋士がどんどん負けるような状況になってもおかしくないと思う(少なくとも、そうなることのビジネス・リスクは想定しておくべきだ)。

将棋において人間が最強ではなくなった時、あらためて、限界を抱えた人間同士の頭脳の格闘技としての将棋の「魅力」やその「見せ方」を考えなければなるまい。

さらに、ここで視点を変えるなら、コンピューターを積極的に使った将棋の戦い方を考えたい。

 たとえば、「プロ棋士同士が、実力を一定レベルに揃えたコンピューターを使っても構わない」として戦うと、どうなるのだろうか。

また、棋士が、コンピューターに与える判断条件や戦い方の選好などの設定を変えて、自分の棋風にチューニングしたプログラムを作り、プログラム同志を戦わせるとどうなるだろうか。このやり方なら、アマチュアも相当程度、プロと互角に近い戦いを挑むことができるだろう。将棋ソフトをプラットフォームとしたアマ・プロ戦も楽しい。

仮に、将棋ソフトの手を読むエンジン部分を共通にして、局面の評価や作戦などを選ぶ部分をチューニングできるようにすると、似たレベルの強さの下で個性の豊かなプログラムを作ることができるだろう。プログラム同志の選手権争奪戦も興業として可能だし、棋士の個性が反映されたプログラムを商品化して、棋士と将棋連盟がライセンス料を取るようなこともできるだろう。

将棋ソフトに人間(棋士)の個性を加えたり、あるいは人間が将棋ソフトを使いながら将棋を指したりするスタイルは、将棋の教育にも使えるのではないか。たとえば、オンラインの道場を作り、先生側が生徒のレベルや個性にチューニングしたプログラムを使って、ときどき人間の指し手を交えながら生徒の相手をし、トレーニングと共に棋力認定を行う、といったサービスが考えられる。将棋ソフトを効果的に使うと、教える側の人数が少なくても、多くの生徒の相手ができるはずだ。

生徒側はスマートフォンを使ってもいいだろう。棋力認定の対局を毎月2局くらい無料にして集客し、多くの対局や指導を望む顧客に課金する、というビジネスモデルはどうだろうか。

将棋が強く、経営者としても優秀な「奇特な天才」

 また、プログラムを相手に将棋を指したとしても、後の講評を人間(レッスンプロ)が、スカイプのようなサービスを通して動画と肉声でやってくれるなら、かなりプレミアム感のある(つまり、お金を取ることができる)サービスになりそうだ。講評する際にも将棋ソフトが役に立つことは間違いないが、内容、声、言葉、映像などで生身の人間を「混ぜる」と、一段と良いサービスになるのではないか。

思うに、相手の映像(動画)あるいは肉声は、オンラインの対局でもあるといい。将棋の指し手だけをやりとりするのではない、相手の姿が見えるオンライン将棋道場を作ると楽しいのではないか。快適な環境を作ることができれば、課金も可能だろうし、ローコストでの提供が可能になれば、基本的サービスは無料化して、トレーニング、棋力認定、講評などを有料オプション化する形で行けるかもしれない。

あれこれ考えてみたが、コンピューター・プログラムやネットを積極的に使った将棋の競技、教育、オンラインも含めたゲームなどには、面白い可能性が十分にありそうに思う。ビジネス主体としての将棋連盟は、この分野の研究・開発に投資すべきではないだろうか。

 コンピューターとプロ棋士を小出しに戦わせても、話題が保つ時間はたかが知れている。むしろ、その間、コンピューターと共存する将棋ビジネスの展開が遅れることがもったいない。プロ将棋界は、コンピューターとネットワークの積極的な取り込みを図るべきではないか。

将棋連盟の経営の現状は詳しく存じ上げないが、将棋をビジネスとして考えることのできる、競争力のある「経営陣」(一人の「経営者」では無理だろう)が必要に思える。ただし、一人一人が「天才」だという自意識を持ち、一家言も持った一国一城の主であるプロ棋士約200人の組織を経営するというのは、想像するだけで悪夢に近い仕事だ。

棋士に文句を言わせないくらい将棋が強く、同時にビジネスにも熱中する「奇特な天才」が将棋界にいてくれるといいが、これは難しいかもしれない。

さりとて、ゲーム会社、マネジメント会社、企画会社、コンサルタントのような外部の主体にビジネスとしての将棋の展開を大きく委ねる方式を成功させるのも大変だろう。将棋ファンとしても心配だ。

盤上のゲームとしての将棋も難しいが、ビジネスとしての将棋も大いに考えるに値する大きなゲームである。

了。



2012/10/17

転載元:将棋をビジネスとして考える





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